NOVEMBER .2024

すべては“過程”
あきらめない気持ちが
未来を創る。

INTERVIEW

須田峻輔

須田峻輔

(すだ・しゅんすけ)岡山県出身。1985年生まれ。株式会社ボイス 代表取締役。音楽•イベントプロデューサー、桃太郎フェス主催、デザイン、音楽スクールの運営、イベント企画•運営、映像撮影•編集etc. 2023年9月 なにわ男子『Diary』で作家デビュー。

01  現在の仕事に至るまで

プロデューサーになりたいから、歌と音楽を学ぶことに決めた。

現在の仕事は、倉敷市で『株式会社ボイス』の代表取締役をしています。事業内容は、マスカット球場で開催している『桃太郎フェス』の主催をはじめとするイベント企画運営から、音楽スクール、音楽プロダクションの運営、アーティストプロデュース、また、WEBサイトのデザインや動画制作などもおこなっています。

進路について真剣に考え始めたのは高校2年生の時で、音楽の専門学校に進学することを決めました。理由はシンプルですが、歌うことが好きで、たまたま家に届いたある音楽系専門学校のチラシを見て「いいな!」と思ったからです。場所は大阪でしたが、オープンキャンパスに何度も通って、両親に相談すると特に反対もなく「いいんじゃない?」と話は進んでいきました。

それから気持ちは変わらなかったのですが、進学を目前にふと、なんで音楽の学校に行くのだろうかと改めて考えた時、自分は歌手志望というよりもプロデュース業に憧れを持っていることに気づきました。当時好きだったアメリカのベビーフェイスというアーティストがいるのですが、彼は自身で作詞作曲してシンガーソングライターとして活躍しながらも、他のメジャーアーティストのプロデュースもしている人です。自分もプロデュースをするなら、彼のように歌えて、曲が作れるようになりたいと考えて、まずは歌と音楽を勉強しようと。「自分はプロデューサーになりたいから、アーティストとしての勉強をやるんだ!」と心が決まりました。

専門学校ではソロボーカルコースに入りましたが、あるギタリストに憧れて、ギターも始めました。授業ではボーカルトレーニングや作詞作曲の課題があって、並行してギターの練習もしていました。エンターテイメント業界を志す人が集まった刺激的な場所だったと思います。また、専門学校ではオーディションがよくあって、ボーカルだけでなく、ギタリストのオーディションにも参加したり、いろいろ挑戦したりする中で、ギターの技術を褒めていただくこともありました。

卒業後は、知人の紹介でアパレル業に就職することにしました。音楽の専門学校から違う分野の職業に就くと、「音楽やめたんだ」と言われることもありましたが、自分の中ではあきらめたつもりはなく、いつかのための“過程”だとずっと思っていました。

(写真は専門学校の卒業式に先生と)

地元倉敷へのUターンが、のちの起業につながる。

大阪・京都でのアパレル業を経験後、一旦岡山に帰ることにしました。そして、地元の倉敷で広告制作をやっている会社の存在を知って、行ってみることに。そこでは街の飲食店から地元の老舗企業、不動産業など、さまざまな分野で広告制作の営業に携わりました。訪れた営業先で「須田くん営業向いてるね」と言われることも多く、その通りにめっちゃ楽しいと思いながら仕事をしていました。

8年間勤めましたが、その間、プライベートでは、ギターをやっていたことがきっかけとなり、音楽に関わる機会が巡ってきました。地元のある駆け出しのアーティストを紹介されて、サポートしてくれないかという話があり、ライブでギターを担当したり、売り出すためのイベントを企画したりしていたら、自然とプロデューサーのような立ち位置になって……。気づいたら、平日は会社員、プライベートでは音楽に関わるというスタイルが出来上がっていて、音楽関係者との人脈がどんどん広がっていきました。やがてその会社を離れるタイミングが訪れ、音楽を軸とした事業で起業することに決めました。

02  須田さんのルートマップ

今があるのは、どんな時も、何もあきらめたことがないから。

転機 現在、“音楽”を軸にさまざまな事業を展開中!
転機 2018年 倉敷で『株式会社ボイス』を立ち上げる
転機 倉敷にUターンして広告制作会社に約8年間勤務
転機 大阪・京都のアパレル会社に約3年間勤務
転機 大阪にある音楽系の専門学校へ進学
転機 岡山県内の高校を卒業

自分が独立して会社を立ち上げることになったのは、倉敷にUターンして就職した広告制作会社での経験とそこの社長との出会いがあったからです。仕事を通じて養われた視点や、出会ったたくさんの人から話を聞いたことが知識や知恵となり、今の会社の事業に活きています。

03  未来のビジョン

最高のパフォーマンスをするための環境づくりを。

未来の夢は、会社のビルを建てること。理由は、拠点が岡山でも十分なクオリティを持って仕事ができるようにするためです。例えば、どれだけ歌の練習を重ねても、あまり音響もよくない狭い部屋では、十分なトレーニングができません。武道館や東京ドームなどの広いステージにいつでも対応できるように、普段からレベルの高い環境でトレーニングをしてもらいたいと考えています。

チャンスは一瞬で消えるので、いつでも臨戦態勢でいられるように。この業界では「来週来てくれませんか」と急にチャンスが降ってくることが多く、すぐに決めないとタイミングを逃してしまいます。常に準備していたら即答できますよね。ライブハウスがあって、レコーディングもできる、ダンスも…… 所属するアーティストたちのためにも、すべてが詰まったビルを建てたいと思っています。

(写真は起業翌年の2019年にマスカットスタジアムで初開催した『桃太郎フェス』の様子 ※開催場所は年により変わります)

「岡山でもできる」ことを証明したい。

音楽で事業をやる人間として、若者の夢を裏切りたくない、失望させたくないと思っています。業界的によくない噂も稀に聞きますが、それだけじゃないということを、ここ岡山から証明していきたいです。音楽をするために、大阪や東京に行かなくても、岡山でもクオリティの高いものを創れると思っています。周囲に「岡山でやる」と断言したので、証明するために今一つずつ積み上げながら、形にしているところです。言ったからには、という意地みたいなところもありますが(笑) 7年目に入り、実績も出始めているので、僕は手応えを感じています。これからも想いをもって挑戦を続けていきたいと思います。

04  10代に伝えたいこと

経験者の話をしっかり聞いて、自分の知恵にする。

過去を振り返った時、「あの時ああしておけばよかったのかな」というのは誰しもあると思うんです。それは避けられない。僕は基本的に、“生きていくことは後悔をしていくもの”だと思っているので、後悔を最小限に捉えるというか、「あの時ああしておけばよかったのかな」と思っても、同時に「でも今はこれがいいからいっか!」と、常に今を正解にするようにしています。

わかりやすく「これをやっておいたらいいよ」はないのですが、一つ言えるとすれば、先を行く“経験者”の話をしっかり聞くことです。身近なところでは、親、祖父母だったり、信頼のおける先生、知っている大人だったり。まずはいろいろな人からの話を素直に聞くことです。今すぐにわからなくても心の片隅に留めておく。そして気になったら、もっと聞いてみる。聞きに行ってみる。表面的に得られる情報で終わらせず、深掘りして聞けるともっといいかもしれません。

聞かれる立場の方は嫌じゃないと思います。この間、県外の大学生から「卒業論文でフェスのことについて書こうと思っているので、お話を聞きに行っていいですか?」と連絡があったので、対応しました。聞きたいと思ってくれる気持ち自体が嬉しいですし、僕の話で彼らの人生になんらかの影響を与えられるのかもしれないと思うとワクワクします。自分もこれまで出会った人たちから与えてもらってきました。話を聞いて世界を知って、“経験を盗む”じゃないですけど、自分の知恵にしてほしいと思います。

「⼤⼈」 をちょっと知る⼀問一答
「⼤⼈」と「⼦ども」の違いを教えてください。

年齢ではなくて、責任が生まれたら大人。責任を持てる人を大人だと捉えています。

須田さんは「大人」ですか?

はい。責任を持てるので大人です。一般的に言われる、大人っぽい・子どもっぽいがものさしだと、子どもだと思いますけど(笑)

「⼤⼈」になってよかったことはなんですか?

自信がつくことでしょうか。自信がつくと余裕が生まれて、自然と「人のために何かしよう」と思うようになりました。それと、自分の考えを若い子たちに伝えられるようになったことが楽しいです。僕のアドバイスを聞いて「やってみたんですけど」と報告や相談に来てくれた時は、本当に嬉しいですね。

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